志村康太「モウリーニョ」の下積み時代を知る
志村康太です。
サッカーファンであれば知らない人はいない「ジョゼ・モウリーニョ」。
必ず結果を出す男で、サッカーの監督として数々のタイトルを獲得してきました。
ここ20年で最も成功したサッカー監督と言っても過言ではないと志村康太は考えています。
相手によって戦術を使い分ける戦い方をすることで知られており、チームのマネジメント業務に加え、相手チームの調査をする業務がモウリーニョの仕事を大きく占めます。
そんな「勝利請負人」のような存在となっているモウリーニョは、どんな人物なのかプロフィールと下積み時代の話をしていこうと思います。
志村康太が知るジョゼの下積み時代
【和訳あり】ジョゼ・モウリーニョ 伝説の記者会見 (チェルシー監督就任時)★スペシャル・ワン★|ヨーロッパの歴史上最もインパクトのある会見のNo.10
名前:ジョゼ・モウリーニョ
生年月日:1963年1月26日
ポジション:ミッドフィルダー(1980~1987)
監督のジョゼ・モウリーニョにはなんと選手時代がありました。
しかし、選手としては名を上げることはできずに7年間クラブを渡り歩いた結果、ついに選手としてのキャリアをストップさせてしまいます。
選手を引退してからリスボン工科大学のスポーツ科学科に通い始め、指導者を志す覚悟を決めます。
卒業してから体育教師として働きながらユースのコーチやスカウトなどでしばしばリスボンのクラブに関わっていたと言います。
その後1990年にスポルティングCPというプロクラブで通訳として採用されてから本格的に指導者へのキャリアをスタートさせます。
通訳という役職も、サッカーの知識と戦術眼が必要な仕事で、監督の業務を身近で見るためにはもってこいの職業だったのです。
その後、通訳だったモウリーニョはスポルティングCPの監督であったボビー・ロブソンのもとでアシスタントコーチに就任しています。
ロブソンはモウリーニョについてこう語っています。
「よく私を観察し熱心にメモを取り、全てを覚えようとしていた。」
勝利の天才は、努力の天才でもあったのだと志村康太は思いました。
その後も、モウリーニョはロブソンと行動を共にし、ロブソンがバルセロナの監督になると一緒にスペインへ渡りました。
ロブソンが監督を退任し、ルイス・ファン・ハールに監督が後継され、モウリーニョはファン・ハール監督のもとでコーチを務めることになりました。
その後ポルトガルに帰国し監督業務をスタートさせ、不調だったベンフィカを短期間で建て直し、ウニオン・レイリアではリーグ4位に入る好成績を収めました。
モウリーニョはメディアを使った戦略を採用することで非常に有名です。
メディアで選手を困惑させたり選手獲得の駆け引きをしたりとかなり頭もキレます。
さらなる活躍が今後あるのか、志村康太は非常に楽しみです。
以上、志村康太でした。
志村康太の他の記事もよろしく!